大判例

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大阪高等裁判所 昭和40年(ネ)1336号 判決 1966年10月12日

控訴人

田村博

右訴訟代理人

表権七

被控訴人

李こと

国本花春

被控訴人

谷こと

国本ゑみ

右両名訴訟代理人

前堀政幸

香山仙太郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は、<以下=省略>

理由

一訴外国本佐太郎が昭和三六年一月七日午後九時三〇分頃、京都府相楽郡木津町字市坂小字幣羅坂六三番地(訴状に三〇番地とあるのは誤記と認める)先附近の国道二四号線道路上を第一種原動機付自転車を運転して南進中、同所の道路左側(東側)に北向きに駐車していた医師訴外楊河正尚所有の自家用自動車との衝突を避けようとしたか又はこれと衝突したかにより転倒し、右自動車の運転者訴外駒秀夫、及び往診先より馳付けた右楊河医師、並びに訴外駒祥雄、らの救護を受けていた際、その場へ控訴人が乗用自動車を運転し右国道上を南進して来たことは、当事者間に争いがなく、右佐太郎がその時その場所で死亡したことは控訴人の明らかに争わないところである。

二そこで本件事故発生に至つた経緯について判断する。<証拠>を総合すると、次の事実を認定することができる。

(一)  前記国道二四号線は京都方面より奈良方面に通ずる幹線で本件事故現場附近の道路の状況は、事故現場の北方約一〇〇米の地点を頂上にやや東側にふくらむ弓状を描いて、北から南にゆるやかな下り勾配をなして縦走し、有効幅員は約七米でコンクリート舗装がなされ、現場のやや北方西側から幅員約五米の旧奈良街道が西南方に分岐し、それより以南は西側に若干の人家が存するほか道路沿いに人家はなく、東側は路面より約二米低い田圃になつており、前記北方勾配の頂上附近から本件事故現場までの見透しは良好であり、事故当日は晴天で路面は乾燥していた、

(二)  訴外楊河正尚(医師)は、本件事故当日前記事故現場の東南方約五〇米附近に在る訴外駒祥雄方へ往診するため自家用小型乗用車(ニツサンセドリツク六一年型、以下セドリツクと略称)を被用者駒秀夫に運転させ同日午後九時すぎ頃本件事故現場に至り、同所で下車して駒祥雄方へ赴いた。セドリツクの運転者駒秀夫は、楊河を下車させるためセドリツクを本件事故現場附近の国道東側に、道路と平行して北向きに停車させたのであるが(セドリツクの右側車輪と国道東端との間は約〇・三米)、楊河が下車したのち白色スモールランプを点灯し、道路の左側(西側)へ移動すべくエンジンの操作に取りかかつていた。

(三)  国本佐太郎(当時一八才)は丁度その頃、第一種原動機付自転車(以下バイクと略称)を運転して前記国道左側(東側)を北から南に向つて進行し本件事故現場附近にさしかかつたのであるが、折から前記のとおり国道左側(東側)に北向きに停車していたセドリツクの前面約一〇米附近の地点に至つてバイクの運転操作を誤り、その場に転倒し、その反動でバイクは道路東側の路肩斜面に転落し佐太郎は道路上に投げ出され、その下半身がセドリツクの車体前部にもぐり込むような状態となつて停止した。

(四)  そこでセドリツクの運転台に居た駒秀夫は驚いて直ちに黄色灯を点じて下車し、佐太郎を抱き起していたところへ、物音で事故の発生に気付いた駒祥雄駒光雄、楊河正尚らが同所へ馳せつけ、佐太郎をセドリツクの左側前端部附近の道路上に南向きに足を投げ出した形で坐らせ直ちに楊河が診察したところ、別段外傷や出血も認められず苦痛も訴えていなかつたので大した傷害は受けていないと判断し、「家へ帰れるか」と問うたところ同人は「帰れる」と答えた。ところがそこへ左に認定するとおり控訴人の車がやつて来た。

(五)  控訴人は、当時父の営んでいた不動産売買業の手伝をなし、その営業のため父所有の自家用乗用車大五な九九五二号(プリンス六一年型新車、以下プリンスと略称)を運転していたのであるが、本件事故当日は自己の結婚式等の打合せのため婚約者上村美子の宅へ赴き、用事をすませたのち帰宅すべく、上村美子を左側助手席に同乗させて右自動車を運転し、前記国道左側(東側)を時速約六〇粁で南進し、同日午後九時三〇分頃前記勾配の頂上附近に至つたのであるが、同所附近において前方(南方)約一〇〇米の地点の道路左側(東側)に自動車(セドリツク)が黄色灯を点灯して北向きに停車しているのを認めた。ところが控訴人はセドリツクの前に居た国本佐太郎や楊河、駒などの人影に気付かず、且つセドリツクが北向きであつたところから、セドリツクもやがて右側(西側)へ発進するものと軽信し、その左側(東側)を通り抜けられるものと考え、何等減速徐行することなくそのまま国道左側を進行して行つたところ、セドリツクの前方数米の地点に至つた際セドリツクが右側へ発進しないものであることに気付き、俄かに衝突の危険を感じ慌てて急制動の措置をとるとともにハンドルを右に切つたが及ばず、プリンスの車体左側部を停車中のセドリツクの左前部に激突させてセドリツクを約二米東南方へ後進させ、その際前記姿勢でセドリツクの左側前端部附近路上に坐つていた国本佐太郎を両車間に挾み込み、因つて同人をして胸部挫砕等により即死せしめた(なお控訴人は右と同時にプリンスの車体左側部を楊河及び駒らにも接触させ同人らを東側路肩部へ跳ね飛ばし、楊河に対しても右腰部打撲傷等の傷害を与えた)。

以上の事実を認めることが出来る。

控訴人は、プリンスは国本佐太郎の身体に全く接触していないし、また佐太郎は前記(三)の第一事故の転倒により既に致命傷を受けていたものである旨主張する。しかしその主張の根拠とするところは、本件第二事故後佐太郎が倒れていた位置(甲第九号証(5)の写真の血痕附近)が第一事故によつて佐太郎が転倒していた位置であることを前提とするものであるところ、もしプリンスが佐太郎に接触したとすれば佐太郎の身体はプリンスの車体による衝撃で当然移動する筈であるから、プリンスのスリツプ痕が甲第九号証(5)の佐太郎の位置より数米北西側を通過していても、またプリンスとの激突前におけるセドリツクの車体が右位置を全部蔽い尽す状態に在つたとしても、そのことを以てプリンスが佐太郎に接触していない根拠とはなすに足りない。また佐太郎が第一事故によつて致命傷を受けたものでないことは、<証拠>によつて認められる受傷の態様、<証拠>によつて認められる第一事故後の佐太郎の言動その他前掲各証拠により十分認定することが出来、前記認定に反する乙第七号証(控訴人が私的に依頼した佐々木軍治作成の鑑定書)記載の意見は独自の見解であつて前掲証拠に照したやすく採用することが出来ない。

三以上認定の事実によれば、控訴人は自己のために自動車を運行の用に供していた者であるところ、その運行によつて佐太郎の生命を害した者であるから、自動車損害賠償保障法第三条に基き右事故に因つて生じた損害を賠償すべき責がある。控訴人は右事故の発生につき過失がなかつた旨主張するが、前認定の事実によれば、控訴人は本件事故現場から約一〇〇米手前の地点でセドリツクを認めたのであるが、かかる場合自動車運転者としてはセドリツクが道路左側に北方を向いていたのであるから夜間のこととて殊に前方注視に努め減速徐行して安全を確認し乍ら通過し、以て事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるにも拘らずこれを怠り、前方を十分注視確認しなかつたためセドリツクの前部に佐太郎らが居るのに気付かず、漫然セドリツクが右側へ発進するものと軽信しその左側を通り抜けられるものと考え何等減速徐行することなく進行を続けた過失により、佐太郎に接触するに至つたものであることが認められ、よつて本件事故の発生につき控訴人に過失があつたことは明らかである。なお控訴人は、その主張の地形上の理由により控訴人に過失がない旨主張するが、たとえ本件事故現場附近の地形が控訴人主張のとおりであるとしてもそのために控訴人としては前方を特に注意し且つ徐行する義務こそあれ、その注意義務を免れうる筋合のものではないから、控訴人の右主張は採用し得ない。また、駒秀夫が反対駐車していた点等について過失があり同人の過失も相俟つて本件事故が発生したものであるとしても、本件事故の発生につき控訴人に前認定の過失が存する以上、控訴人には自賠法第三条所定の免責事由は存しないものと言うべく、従つて損害賠償の責を免れない。

四そこで損害について判断する。

(一)  <証拠>によれば、被控訴人両名は国本佐太郎の父母であり佐太郎には妻子がなかつたこと、右三名はいずれも韓国に国籍を有し朝鮮慶尚南道普陽郡普成面耳川里八六五の一に本籍を有する者であることが認められるから、被控訴人両名は佐太郎の死亡により共同相続に基き同人の権利義務を平等の割合で承継したものと言わねばならない(法例第二五条韓国民法第一、〇〇〇条第一項第二号第二項第一〇〇七条第一〇〇九条第一項)。

(二)  次に、<証拠>に弁論の全趣旨を総合すると、佐太郎は死亡当時満一八才八ケ月であつて、訴外山城砕石株式会社に採石工として勤務し月平均金一九〇〇〇円の賃金収入を得、両親と同居し、右収入のうち毎月金四〇〇〇円以内を生活費に充てていたこと、同人は生来健康体であつて少くとも六五才まで右と同程度の収入を得べき可能性があつたことが認められる。そうすると佐太郎は本件事故に因る死亡のため年令六五才に達するまで被控訴人らの主張する四六年間少くとも毎月金一三、〇〇〇円(生活費控除)宛の得べかりし収入を喪失したものであり、その合計額から年五分の割合による中間利息を控除した額が被控訴人主張の金四、二三五、九七四円を超えることは計数上明らかであるから、同人は少くとも右同額の損害を被つたものと言わねばならない。この点に関し控訴人は、(イ)佐太郎は前記第一事故に因り既に重傷を受け終生の労働力を失つていたのであるから第二事故に基く逸失利益はなく、(ロ)佐太郎の生活費は将来妻子を有するに至れば更に増大する筈であり、(ハ)重労働たる採石工の稼働年令は長くとも五五才までであるからその得べかりし収入の額は長くとも三六年分を以て計算すべきであり、(ニ)被控訴人国本花春の余命は二二年八八、同国本ゑみの余命は三〇年とするのが相当であるから、これを超えて四六年間全部の逸失利益を相続したとするのは不当である旨主張する。しかし、右(イ)の主張の理由のないことは既に前記二において認定した事実によつて明らかであり、(ロ)の主張については、損益相殺の対象となるべき生活費は死亡者本人の分のみであつて扶養家族の分はその対象とならないから右主張は失当であり、(ハ)の主張については、仮に佐太郎が五五才までしか重労働に従事し得ないものであるとしても同人が重労働以外に収入を挙げ得ない者であることを認むべき特段の資料もない以上、同人において将来六五才までに至る間少くとも毎月金一九、〇〇〇円程度の収入を攻げ得る可能性の存することは経験則上明らかであるから、右主張は失当であり、(ニ)の主張については、被控訴人らは佐太郎の死亡により同人が死亡当時有した権利(将来の逸失利益を現価に換算した損害賠償請求権)を即時確定的に承継取得したものであり被控訴人らの余命年数の如何によつて右損害額に消長をするものではないから、右主張も採用することが出来ない。

次に控訴人は過失相殺を主張するので検討すると、前記二に掲げた各証拠及び同項認定の事実を総合すると、佐太郎は本件事故当日の夜中学の同窓会に出席し約一合位の酒を飲んだのちバイクで帰宅の途中本件事故に遭つた者であるが、佐太郎が前記二の(三)認定のとおりセドリツクの前面約一〇米附近でバイクの運転操作を誤つて転倒し第一事故を起すに至つた原因は、控訴人と同様前方注視を怠つた過失に基因するものと推測せられ、右第一事故によりセドリツクの前面に坐つていたことにより本件第二事故に遭遇するに至つたのであるから、右の事実は民法第七二二条第二項にいわゆる被害者の過失として本件損害賠償額の算定につき斟酌するのを相当と認め、前認定の損害額のうち控訴人の負担すべき額を金二五〇万円と定める。

(三)  次に、当裁判所は佐太郎の死亡による被控訴人両名の精神的苦痛に対する慰藉料は各金二〇万円宛を以て相当と認めるものであり、その理由は原判決理由説示(原判決一一枚目表一〇行目から裏一一行目までの記載)と同一であるからここにこれを引用する。

(四)  更に控訴人は、(イ)本件事故については訴外駒秀夫にも過失があり、従つて同人及びその使用者たる訴外楊河正尚は、共に控訴人と連帯して損害賠償責任がありその負担部分は各二分の一であるところ被控訴人らの駒、楊河に対する損害賠償債権は時効により消滅したから、控訴人もまた右両名の負担部分につき免責されたものであり、(ロ)控訴人は自賠法による保険金五〇万円の請求権を直接被控訴人らをして保険会社に行使させているから、右金額は内入弁済として差引かるべきである旨主張するが、本件に現われた全証拠によるも、訴外駒秀夫及び楊河正尚に本件事故につき不法行為上の損害賠償責任があることを認めるに足らないのみならず、そもそも共同不法行為に基く数個の債務の関係は、その債権成立の性質上、及び被害者保護の見地から所謂不真正連帯債務と解すべきであり、従つて民法第四三九条の適用はなく、共同不法行為者中一部の者に対する債権の消滅時効の完成は他の者に対し何等影響を及ぼすものではないから、(イ)の主張は理由がなく、また(ロ)の主張も被控訴人らが自賠法による保険金を受領したことを認むべき何等の証拠もないから、失当である。

五してみると、控訴人は被控訴人両名に対し各自金一四五万円宛(物的損害金一二五万円宛、慰藉料金二〇万宛)及びこれに対する本件訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和三六年一二月二一日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、よつて被控訴人らの本訴請求を右の限度で認容した原判決は正当であるから、本件控訴は理由なしとして棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用の上、主文のとおり判決する。(岡垣久晃 奥村正策 畑郁夫)

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